銃を大量に準備

16世紀にヨーロッパから銃器の生産技術がもたらされた。

戦国時代にあった日本では、瞬く間に銃器の生産が普及した。

銃をどれだけ用意してどう使うかが戦争の勝敗を決するようになった。

銃を大量に準備し、かつ効率よく運用した織田信長が日本統一をほぼ成し遂げた。

当時、銃器の生産の中心は堺であった。

優れた技術は外部に漏らさないのが普通で、堺は莫大な利潤を蓄えた。

堺は銃器生産と貿易で栄華を極めたが、大坂夏の陣で壊滅的な打撃を受けたのち、そこから逃れた鉄器の技術者たちは日本各地に散らばっていった。

鉄の技術者は鍛冶師、鋳物師と呼ばれた。

このころ、中国大陸では鉄の生産のために森林資源が枯渇し始めた。

当時、鉄の精錬には木炭が使われたためである。

日本の森林は再生能力に優れ、幸いにも森林資源に枯渇することが無かった。

豊富な砂鉄にも恵まれており、鉄の加工技術では東アジアでは抜きん出た存在になった。

江戸時代、日本は鎖国政策をとっていたが、刀剣は最も重要な輸出商品として長崎から輸出された。輸出先は中国やヨーロッパである。

今日でもヨーロッパ各地の博物館で当時の貴族たちが収集した日本刀を見ることができる。
update:2010年02月26日